大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(ネ)2090号 判決 1982年9月30日

控訴人 仁保多づ

被控訴人 坂上美子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一二月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決

二  被控訴人

主文と同旨の判決

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、原判決二枚目表末行の「不貞行為」を「肉体関係」に、同四枚目表五行目の「不貞行為」及び同六行目の「不貞関係」を「肉体関係」に、同裏四行目から五行目の「浦和家裁」を「家庭裁判所」にそれぞれ改めるほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

第三証拠〔省略〕

理由

一  請求原因1及び2についての当裁判所の判断は、原判決理由一及び二と同一であるから(ただし、原判決六枚目表九行目から一〇行目、同裏初行及び同九行目の「不貞行為」を「修との肉体関係」に改める。)、これをここに引用する。当審における控訴本人尋問の結果は、右判断を左右するものではない。

二  請求原因3について

1  被控訴人が、昭和四六年一月二日、控訴人の夫である訴外仁保修(以下「修」という。)との間の子である訴外坂上与志生(以下「与志生」という。)を懐胎して出産し、昭和五二年に与志生を代理して、修に対し認知請求の訴え(前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号)を提起したことは、当事者間に争いがない。

2  ところで、控訴人は、修に妻のあることを知りながら、修の子を懐胎して出産し、その子を代理して認知請求したことが不法行為となる旨の主張をするが、被控訴人が昭和三八年一二月ころから昭和四八年八月ころまで約一〇年間にわたつて、修に妻のあることを知りながら、修と肉体関係を続けていたことは、当事者間に争いのないところであり、被控訴人の右行為が不法行為を構成するものであることは、前記認定のとおりである(原判決理由一、2)ところ、右肉体関係の継続期間中である昭和四六年一月二日に与志生を出産したというのであるから、その懐胎、出産は、右の肉体関係の具体的内容をなすものであつて、それ自体を肉体関係とは別個の違法な行為とみることはできない。

もつとも、控訴人の立場からすれば、夫が他の女性と肉体関係を結んだ場合に、その女性が夫の子を出産したか否かは、その受けた精神的苦痛に差のあることは容易に理解しうるところであり、被控訴人としても、妻のある修の子を懐胎、出産したことは、受胎調節が容易に可能な状況のもとにおいては、控訴人に対する修の守操義務違反に加担する度合が大きいといわざるをえないが、右は、いずれも被控訴人の不法行為責任の範囲、程度の大小にかかわる問題であつて、別個独立の不法行為責任が生ずるものとみることはできない。

そして、一たん非嫡の子が出生した以上、父に対して認知を求めることはその子の権利であるから、被控訴人が与志生の親権者として同人を代理して、修に対し認知請求をした行為を違法な行為とみることもできない。

3  そうならば、控訴人主張にかかる請求原因3の行為は、被控訴人の修との肉体関係(請求原因1の事実)の内容ないし態様を示すにすぎないものと解すべきところ、控訴人の被控訴人に対する修との肉体関係を理由とする損害賠償請求権が時効によつて消滅したことは、前記のとおり(原判決理由一、2、3)である。

なお、控訴人は、与志生が修の子であることを知つたのは、前記認知請求事件の審理中に提出された鑑定人○○○作成の昭和五三年七月五日付、同○○○○作成の昭和五四年八月二九日付各鑑定書を見たときであり、そのころ損害を知つたことになるから、昭和五四年八月ころから時効が進行する、と主張するが、前記のとおり、控訴人は、修と被控訴人が昭和四八年八月ころまで約一〇年間にわたつて肉体関係を続けていたことを知悉していたものであり、このような状況のもとでは、被控訴人が修の子を懐胎して出産する場合のありうることを通常予想しうるところであつて、修の子の懐胎、出産が控訴人にとつて前記修と被控訴人との肉体関係からは予期しえない事態の発生とみることはできないし、仮に、控訴人において、与志生が修の子であることを知つた時に「損害」を知つたことになり、その時から時効が進行するものと解するとしても、当審における被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人は、昭和四七年ころ、志与生が病気の折に控訴人に対し、修の子が病気に罹つたのでその旨修に伝えてほしいとの電話をかけている事実が認められ、また、当審における証人仁保修の証言及び控訴本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)によれば、被控訴人は、昭和四八年ころ、被控訴人の子供である修治、与志生の両名を代理して、修を相手方として、東京家庭裁判所に認知の調停申立てをし(なお、原審において、被控訴本人は、浦和家庭裁判所に右の調停申立てをしたと供述するが、右は、当審における被控訴本人尋問の結果及び成立に争いのない甲第六号証の一、二と対比して措信できない。)、調停期日呼出状が控訴人方に送付され、控訴人は、同年九月ころ、被控訴人の子らから(ただし、修治はその後修の子でないことが明らかとなつた。)夫修に対し認知の調停申立てがなされていることを知つた事実が認められ、右認定に反する原審及び当審における控訴本人尋問の結果はたやすく措信できないので、以上によれば、控訴人は、遅くとも昭和四八年九月には、被控訴人が修の子を出産していたことを知つていたものと推認される。したがつて、控訴人は、そのころには、被控訴人が修の子を出産したことを含め被控訴人と修との肉体関係の内容を知つたものと認められ、右の肉体関係が同年八月中には終了していたことは、前記のとおりであるから、右いずれの時点からにせよ、昭和五四年一二月四日の本訴提起による損害賠償請求時までに既に三年を経過していることになり、控訴人の被控訴人に対する右損害賠償請求権は時効によつて消滅したというべきである。

三  そうならば、控訴人の本訴請求はいずれも失当であり、これを棄却した原判決は結局正当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九五条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 越山安久 吉崎直彌)

〔参照〕 原審(東京地 昭五四(ワ)一二〇一一号 昭五六・八・二六判決)

主文

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一 原告

1 被告は原告に対し、金一〇〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行の宣言。

二 被告

主文同旨。

第二当事者の主張

一 原告の請求原因

1 原告は、昭和二八年四月七日仁保修と婚姻し、同年七月五日長男修一をもうけて、親子三人の家庭生活を送つていたところ、右修と、芸妓のかたわら適当な客と売春していた被告が知り合いとなり、右修は、昭和三八年一二月ころ、対価を支払つて被告と肉体関係をもつようになり、その後、被告は、右修に妻子があることを知りながら、昭和四八年八月までの約一〇か年にわたつて断続的に不貞行為を続けた。これによつて、原告の平和な家庭は破壊された。

2 被告は、その間、昭和四二年八月四日右修の子ではない坂上修治を出産したが、これがあたかも右修の子であると偽り続けて、長期間右修を苦しめ、かつそれをたねにして、原告に脅迫電話を繰り返し、かつ原告夫婦の共有の財産となるべき合計約二〇〇〇万円の金員を騙取し、原告の健全な家庭生活を物心両面にわたつて破壊した。

3 さらに、被告は、昭和四六年一月二日、右修に原告という妻があることを知りながら、右修の子である坂上与志生を懐胎、出産し、昭和五二年に至り、この子を代理し右修を被告として前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件を提起した。これによつて被告は、右修が妻である原告に対し負つている守操義務、健全な家庭生活の育成に努むべき義務の違反に加担した。

4 右の三点にわたる被告の不法行為によつて、原告は筆舌に尽しえない精神上の苦痛を蒙つた。これを慰藉すべき金額としては金一〇〇〇万円が相当である。

5 よつて、原告は、被告に対し、被告の右不法行為に基づき、右金一〇〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する被告の認否

1 請求原因1の事実中、前段は被告が売春をしていたとの点を除いて認める。後段は否認する。

2 同2の事実中修治出生の点は認めるが、その余は否認する。右修より被告が原告主張額より少ない金員を受取つたことはあるが、これは右修の意思で被告の生活費などとして交付されたものであつて、原告に対する不法行為となるものではない。

3 同3の事実中、前段は認め、後段は否認する。女性がいつたん妊娠した以上、正当な事由のない限り堕胎することは法の許さないところであるから、子供を生むことは当然であり、また、既に生まれた子を母が代理して父に対し認知を求めるのはこれまた法律上当然であるから、これが原告に対する不法行為を構成するものでないことは、明らかである。

三 被告の抗弁(消滅時効の援用)

1 請求原因1のような被告と修との不貞行為が不法行為を構成するとしても、不貞関係は昭和四八年八月ころまでには終つていて、このことを原告は当時から知つており、そのころから既に三年を経過した。

2 請求原因2の事実が仮に不法行為を構成するとしても、右金員の授受などがあつたのは昭和四七年が最後であつて、このことを原告は当時から知つており、そのころから既に三年を経過した。

3 請求原因3の事実が仮に不法行為を構成するとしても、被告が修の子与志生を出産したのは昭和四六年一月二日であり、被告が与志生の親権者としてこれを代理して浦和家裁に認知請求の調停申立をしたのは昭和四八年五月であつて、このことを原告は当時から知つており、そのころから既に三年を経過した。

4 よつて、右いずれの点についても、損害賠償請求権は時効によつて消滅しているので、被告は本訴において右時効を援用する。

四 被告の抗弁に対する原告の認否

1 抗弁1の事実は否認する。

2 同2の事実は否認する。

3 同3の事実は否認する。すなわち、原告が、与志生が修の子であることを初めて知つたのは、前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件の審理中に提出された鑑定人○○○作成の昭和五三年七月五日付鑑定書を見たそのころであり、与志生が修の子であることを確信するに至つたのは同じく提出された鑑定人○○○○作成の昭和五四年八月二九日付鑑定書を見たそのころであるところ、原告が被告の不法行為によつて最も強く精神的苦痛を受けたのは、右の二つの鑑定結果によつて与志生が修の子であることを確信するに至つたときであるから、原告は右の苦痛(損害)を初めて知つたのはそのころということになり、したがつて、その損害賠償請求権は時効によつて消滅していない。

第三証拠〔省略〕

理由

一 (請求原因1について)

1 原告は、昭和二八年四月七日仁保修と婚姻し、同年七月五日長男修一をもうけて、親子三人の家庭生活を送つていたところ、右修と芸妓をしていた被告が知り合いとなり、昭和三八年一二月ころ両名は肉体関係を結ぶようになり、その後、被告は、右修に妻子があることを知りながら、昭和四八年八月までの約一〇か年にわたつて断続的に不貞行為を続けたことは、当事者間に争いがない。

2 右の被告の行為は、原告に対する不法行為を構成するというべきところ、右のとおり被告の不貞行為は昭和四八年八月には終わつており、原・被告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原告は右のことを遅くとも昭和四八年中には知つていたことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠は存在しない。右の時点から、本件記録上明らかな本訴提起(昭和五四年一二月四日受付、同月一三日被告に送達)による損害賠償請求時まで既に三年を経過していることは明らかである。

3 だとすれば、被告の不貞行為を理由とする原告の損害賠償請求権は時効によつて消滅しているというべきであり、被告の抗弁1の主張は理由がある。

二 (請求原因2について)

1 被告が昭和四二年八月四日坂上修治を出産したことは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第二ないし第四号証および弁論の全趣旨によれば、結果的には前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件の判決(昭和五五年一〇月三〇日言渡、確定)によつて親子鑑定などにより修治は修の子でないことが確定されたことが認められるが、他方、右各証拠と証人仁保修の証言および被告本人尋問の結果によれば、修治が懐胎した直後に被告はこれを修の子であると信じて修にその旨伝え、修も胎児のときから自分の子であると思つていたことが認められ、彼我対照して考えれば、右内容の裁判確定の一事から、被告が修治を修の子でないと意識しつつ、ことさら修の子であると偽り続けたと推認することは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、前掲各証拠と原告本人尋問の結果によれば、被告が昭和四八年八月ころ修が被告から手を引いた直後に、原告宅に電話をした際、原告から売春婦などとののしられたこともあつて、「早く別れろ、死ね、お前は交通事故で死ぬぞ、早く離婚しろ、絶対別れてやらない」などと脅迫まがいのののしりを言つたことがあるほか、それまでにも、昭和四一年ころから何度かときには深夜にわたつて原告宅に同趣旨の電話をしたことはあるが、その電話も昭和四八年八月直後(昭和四八年中)の右電話をした後は、とりたてて脅迫電話をしたことはなく、このことを原告は知つていたことが認められ、これと異なる趣旨の原告本人尋問の結果は採用できず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。さらに、前掲各証拠および証人仁保修の証言によつて成立の認められる甲第五号証によれば、修は被告に対し昭和三八年一二月ころから昭和四七年八月ころまでの間にその生活費などとして合計一〇〇〇万円を超える金員を渡していることが認められるが、これを被告が修から騙取したと認めるに足る証拠は存在しない。

2 そうすると、請求原因2の事実中、被告の不法行為が成立する可能性があるのは、脅迫まがいの電話をしたことだけであるが、仮にこれが違法性を帯びるとしても、右のとおり昭和四八年中には右の電話は終わつており、このことを原告は知つていたのであるから、右時点から本訴損害賠償請求のときまでに既に三年を経過していることは明らかである。

3 だとすれば、原告のいう脅迫電話が仮に不法行為を構成するとしても、これを理由とする損害賠償請求権は時効によつて消滅しているというべきであり、被告の抗弁2の主張は理由がある。原告の請求原因2の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三 (請求原因3について)

1 被告は、昭和四六年一月二日、右修に原告という妻があることを知りながら、修の子である坂上与志生を懐胎、出産し、昭和五二年に至り、この子を代理し修を被告として前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件を提起したことは、当事者間に争いがない。

2 原告は、右の子の懐胎、出産、認知請求が不法行為を構成すると主張する。なるほど、妻のある夫であることを知りながら、これと肉体関係を結ぶ者は、受胎調節が容易にできる現在においては、これによつて非嫡の子を懐胎しないように、事前に避妊の措置を講じて受胎を回避すべき義務があり、これを講じないで懐胎するに至つた場合には、不貞行為とは独立に、子の懐胎自体について不法行為責任が成立すると解すべきであるが、右義務に違反していつたん子を懐胎してしまつた以上、優生保護法一四条に規定している除外事由に該当する場合を除いて一般に人工妊娠中絶をすることが禁じられているわが法制下においては、子の出産自体をとらえて不法行為責任を負わすことはできず、また、認知制度が設けられている趣旨に照せば、いつたん非嫡の子を生んでしまつた以上、その認知を求めうるのはいわば子およびその親権者などの権利であるというべきであるから、認知請求それ自体をとらえて不法行為責任を負わすことはできないものと解すべきである。

3 そうすると、被告は修に妻たる原告のあることを知りながら非嫡の子与志生を懐胎したのであるから、この点について不法行為責任を免れないといわなければならない。

4 そこで被告の抗弁3についてであるが、原告は、子の出産などの不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、親子鑑定の結果によつて子が夫の子であることを確信するに至つたときである旨主張する。しかし、右のとおり不法行為責任が生ずるのは子の懐胎自体についてであり、このことによつて原告の損害は発生するというべきであるから、子の懐胎を知つた時点が時効の起算点であると解すべきである。そして、前述のとおり、被告が修の子である与志生を懐胎したのは、出産日である昭和四六年一月二日より前であることは明らかであり、原・被告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告は右懐妊の事実を遅くとも、被告が与志生を代理して昭和四八年五月浦和家裁に認知請求の調停申立をし、原告宅にその出頭呼出がなされた昭和四九年六月(修が台湾滞在中)までには知つていたものと認められ、右認定と一部符合しない原告本人尋問の結果は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。右の時点から本訴損害賠償請求のときまでに既に三年を経過していることは明らかである。

5 だとすれば、子の懐胎を理由とする原告の損害賠償請求権は、時効によつて消滅しているというべきであり、被告の抗弁3の主張は理由がある。

四 (結論)

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないので、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例